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「誰とも話さなくても生きられる社会」は、本当に便利なのか?

最近、スーパーで買い物をしていて、ふと思うことがあります。

商品をカゴに入れる。
セルフレジでバーコードを読む。
スマホで決済する。
袋に詰めて帰る。

あれ? 今日、店員さんと一言もしゃべってないぞ。

考えてみれば、スーパーだけではありません。

電車はICカード。
銀行はネットバンキング。
飲食店はタブレットやスマホで注文。
宅配便は置き配。
ホテルは自動チェックイン。
本も服も日用品もAmazonなどのネット通販で買える。

少し前まで、人間にお願いしていたことが、どんどん機械やスマホに置き換わっています。

これはもちろん便利です。

でも、ここでちょっと気になることがあります。

私たちは便利さと引き換えに、「人と話す機会」まで手放しているのではないでしょうか。

昔は、生活するだけで誰かと話していた

昔の買い物を思い出してみます。

「これ、ください」

「袋に入れますか?」

「今日は寒いですね」

「ありがとうございました」

別に大した会話ではありません。

駅で切符を買うにも駅員さんと話す。銀行へ行けば行員さんと話す。食堂へ行けば店員さんに注文する。

つまり昔は、

生活するためには、ある程度、人と話さざるを得なかった

のです。

面倒といえば面倒です。

ところが、その「面倒」の中に、

「こんにちは」
「ありがとう」
「今日は暑いですね」

という小さなコミュニケーションも入っていました。

私たちは「面倒」をなくしたつもりが、その中に入っていた人との接点まで一緒になくしてしまったのかもしれません。

日本人の約4割が何らかの孤独感

これは単なる印象論でもありません。

内閣府が2025年に実施し、2026年4月に公表した全国調査では、何らかの孤独感がある人は約4割にのぼりました。

さらに、同居していない家族や友人と、

「直接会って話すことが全くない」

という人も1割程度います。

一方、別の内閣府調査では、「孤独・孤立を身近に感じる」と答えた人が48.7%でした。

もはや孤独は、一部の特殊な人だけの問題とは言えそうにありません。

「雑談なんて意味ないやん」は本当か?

ここで意外に重要なのが雑談です。

「今日は暑いですね」

「阪神、昨日負けましたなあ」

「この野菜、高くなりましたね」

こんな会話をしたからといって、何か重要な情報が得られるわけではありません。

仕事が進むわけでもありません。

効率という観点だけなら、

ほぼゼロです(笑)。

ところが、人間にとってはそうでもないらしいのです。

日本の中高年867人を対象とした研究では、コロナ禍で雑談の機会が減ったと回答した人は57%でした。そして、雑談が減った人では、減らなかった人に比べて心理的ウェルビーイングが低く、孤独感が強いという関連が確認されています。

つまり、

役に立たないように見える会話が、実は役に立っていた。

なんとも人間らしい話です。

「効率化のパラドックス」

現代社会の変化を整理すると、こんな感じでしょうか。

昔は、

不便
↓
人に頼む
↓
会話する
↓
人との接点ができる

現在は、

デジタル化
↓
便利になる
↓
人に頼まなくてよくなる
↓
会話しなくなる
↓
偶然の人間関係も減る

もちろん昔に戻ればいい、という話ではありません。

私もセルフレジを使います。

ネット通販も使います。

いまさら銀行の窓口へ行って、

「ネットバンキングは人間味がない!私は通帳とハンコで勝負する!」

なんて言うつもりもありません(笑)。

便利なものは便利なのです。

問題は、便利になったことで失われたものに、私たち自身が気づきにくいことなのだと思います。

SNSでつながっているから大丈夫?

そこで、

「いやいや、今はLINEもSNSもあるやん」

という反論が出てきます。

確かにその通りです。

むしろ人類史上、これほど簡単に他人と連絡できる時代はなかったでしょう。

でも、

SNSで100人の投稿を見ることと、

近所のお店で、

「いつものですか?」

「そうそう、それ」

と話すことは、どうも同じではなさそうです。

前者は「情報との接触」ですが、後者には自分がそこに存在していて、相手から認識されているという感覚があります。

だから、親友との深刻な相談だけが人間関係なのではありません。

顔見知りの店員さん、近所の人、散歩中によく会う人。

こうした「友達というほどでもない人」との小さな交流も、社会とのつながりを作っているのでしょう。

そして次にやって来たのがAI

ここで話はさらに面白くなります。

これまでのデジタル化は、

「店員さんと話さなくても買い物できる」

という程度でした。

ところがAIが登場しました。

調べもの → AI
旅行の計画 → AI
文章を書く → AI
勉強を教えてもらう → AI
相談する → AI
暇なときに話す → AI

これまでなら、

「ちょっとこれ、どう思う?」

と誰かに聞いていたことまで、一人で完結できるようになります。

AIはとても便利です。

私自身もこうして使っています(笑)。

しかし、セルフレジと同じことが、もっと大きな規模で起きる可能性があります。

人に聞かなくてもいい。
人に頼らなくてもいい。
人と話さなくてもいい。

技術的には素晴らしい社会です。

でも、それがそのまま人間にとって幸せな社会なのかは、また別の問題です。

「一人でいる」と「孤立している」は違う

ここは区別しておきたいところです。

一人でいること自体が悪いわけではありません。

人付き合いが苦手な人もいるでしょう。

休日くらい誰にも会わず、一人で本を読んだり映画を見たりしたい。

私もその気持ちはよく分かります。

問題は、

「一人でいたいから、一人でいる」

ことと、

「気がついたら、誰とも話さなくなっていた」

ことは全く違うということです。

後者が、本人も気づかないまま増えていくとしたら、これは個人だけの問題ではありません。

便利さを捨てる必要はない

では、セルフレジをやめるべきなのでしょうか。

そんな必要はないと思います。

ネット通販もAIも、便利なら使えばいい。

その代わり、

コンビニで「ありがとう」と言う。

散歩中に近所の人に挨拶する。

行きつけのお店を一つ作る。

たまには友人に電話する。

そんな小さな「非効率」を、意識して残しておく。

これからは、そんなことが意外に大切になるのかもしれません。

最後に

人類は長い時間をかけて、

「人に頼らなくても生きられる社会」

を作ってきました。

切符を買うのも、買い物をするのも、銀行振込するのも、旅行を予約するのも、一人でできるようになりました。

そしてAIによって、その範囲はさらに広がろうとしています。

それは間違いなく進歩です。

ただ、一つだけ考えておきたい。

昔の「不便」の中には、

人に尋ねること、
人に頼ること、
人と話すこと、

も含まれていました。

だからこれから必要なのは、便利さを捨てることではなく、

便利になった社会の中に、あえて少しだけ「人と関わる余白」を残すこと

なのではないでしょうか。

セルフレジを使って買い物を終えたあと、

「ありがとうございました」

と店員さんに一言。

効率だけ考えれば、なくても困らない言葉です。

でも案外、これからの社会で大切になるのは、

そんな「なくても困らない会話」なのかもしれません。