時代劇を見ていると、ときどき武士がこんなことを言います。
「それがしに、お任せくだされ!」
今の感覚で聞くと、いかにも武士っぽい。
「拙者」と並んで、口にした瞬間にちょんまげが生えてきそうな一人称です。
でも、この「それがし」。
もともとは「私」という意味ではありませんでした。
もともとは「誰それ」
「それがし」は漢字で書くと、
某
です。
これは今でも使いますね。
「某有名企業の社員」
「某大学の教授」
「某人気タレント」
つまり、
名前は言わないけれど、ある人・あるもの
という意味です。
平安時代ごろの「それがし」も、基本的にはこの意味でした。
「それがしという人が……」
と言えば、
「誰それという人が……」
という感じです。
ところが中世になると、これを自分自身に対して使う人が現れます。
「誰それ」だったのが「私」に
どうしてそんなことになったのでしょう。
感覚としては、
「私はあんちもでございます!」
と堂々と名乗る代わりに、
「まあ、名前を申し上げるほどの者でもございませんが……」
と一歩引いて自分を表現する感じです。
つまり、
「誰それ」
→「名を申し上げるほどでもない者」
→「私め」
→「私」
という変化です。
なるほど。
「それがし」は最初から偉そうな武士言葉だったわけではなく、むしろちょっと控えめな自己表現だったんですね。
ところが武士が使い始める
その後、「それがし」は武士の一人称として広く使われるようになります。
すると面白いことが起こります。
もともとは、
「名乗るほどの者ではございません」
みたいな謙遜した表現だったのに、武士が使ううちに威厳が出てきた。
「それがしが参る!」
「それがしにお任せあれ!」
……全然控えめじゃない(笑)。
言葉というのは、意味そのものだけではなく、誰が使っているかによってイメージまで変わっていくわけです。
「某」は今も生きている
そして面白いことに、「それがし」という読み方はほぼ時代劇の世界に行ってしまいましたが、「某」という漢字の本来の意味は現在も普通に生きています。
「某テレビ局」
「某大手企業」
「某国の大統領」
全部、
「どことは言いませんけどね」
という意味です。
ということは、「某企業」を無理やり昔風に読めば、
「それがし企業」
……いや、それは違います。
一人称の歴史は面白い
日本語には「私」「僕」「俺」「わし」「拙者」「我輩」など、やたらと一人称があります。
そして、その一つ一つに歴史があります。
「それがし」も最初から武士専用の言葉だったわけではありません。
もともとは単なる「誰それ」。
それが、
「誰それ」→「名もなき私」→「武士の私」
へと変化していった。
今では「それがし」と言っただけで、
刀を差して歩いていそうな人
を想像してしまいます。
言葉の意味は辞書だけで決まるのではなく、長い間に「誰が、どんな場面で使ってきたか」によっても作られていく。
それがし、また一つ勉強になったでござる。
